「コンフォートゾーンとは、慣れ親しんだ世界、言い換えれば「昨日までの自分が作り上げてきた世界」です。しかし、自身が「こうなりたいという姿(ゴール)」は、過去ではなく常に未来のことになります。この未来のゴールは、「昨日までの自分が作り上げてきた世界」ではありません。全く異なる世界です。現状の延長線上に、ゴールはないからです。
ゴールというのは現状の世界の外にあって、初めてゴールになるからです。」(ピエロさん動画参照終わり)
つまり、現在の日常の延長線上には、「こうありたい」と願うその未来の姿は、存在しないということになります。
なぜ、現状の日常の延長線上には、「ゴールが存在しない」のか少し話をしてみたいと思います。
2.ゴールへの道を阻むコンフォートゾーン
心理学用語であるコンフォートゾーンとは、「昨日までの自分が作り上げてきた世界」といいましたが、言い換えると、「人が快適に暮らせる空間」を意味します。
例えば、私にも経験があるのですが、大人数の前でプレゼンをするとき、慣れていない場合、声が裏返ったり、動機が早まったりして、自分の能力の挑戦はせずに「首尾よく失敗無くプレゼンを終わらせる」方向に舵を切ります。大舞台でのプレゼンは、明らかにコンフォートゾーンの外であり、コンフォートゾーンの外では、人は皆そうなります。
この現象は、知的活動でも同様な状況になります。コンフォートゾーンの外では、「知的レベルは下がります」。そして、基本、我々が能力を発揮できるのは、コンフォートゾーンの中にいるときです。新しいことに挑戦し、何時間も悩み悩み抜いても答えが出ず。家に帰り、落ち着いた状態で、ふとその答えが見つかるなんて経験はないでしょうか?だからこそ、人は、コンフォートゾーンを維持しようとします。自分にとって環境がコンフォートゾーンではないときは、環境を自宅などに移すと、パフォーマンスが維持できますが、コンフォートゾーンを維持し続ける弊害もあります。
「こうありたいと願う=ゴール」を見たとき、未来のゴールの世界は、「昨日までの自分が作り上げてきた世界」とは明らかに異なるのです。現状の外にあって初めてゴールというものです。コンフォートゾーンの中にあるゴールは、ゴールとは言いません。ピエロさん曰く「「ただの日課」です。「我々が掲げるゴールは、常に安心安全の外にある。だから、動こうとすると戻るし、見ようとすると塞がれる。達成しようと動くと達成しないように動く。意識ではそうさせたいが、無意識がそうさせない。」
これが、コンフォートゾーンの働きの一つでもある訳です。コンフォートゾーンの外に一歩でも踏み出せば、恐れが発動し、あらゆる手段を使い現状に引き戻します(無意識の防衛本能)。